れんとう

まいにち なにか ひとつ

秋葉原回顧録 第1回 Flip-Flap

21世紀もあともう少しで四半世紀が経とうとしている。
2000年になったのはついこの前のことと思っていたのに、時の流れは早いものだ。
そんな四半世紀を秋葉原PCショップの栄枯盛衰と共に思い出語りをしてみる。

その1回目で取り上げるのは、「Flip-Flap」だ。

小さい頃から、NECのパーソナルコンピュータを見て育った。
父親が新しい物好きだったからだ。
完全な「趣味」として、PC6001、PC8001、PC8801、PC9801と歴代のNEC製品を買い替えながら使っていた。

「パソコンなら自分でプログラムを打ち込めば、ゲームしたい放題なんだぞ?」と父親にそそのかされて、ベーマガのプログラムリストを打ち込まされたりしたものである。

そんな幼少時代を過ごしたから、「パソコンとはNECの製品であり、メーカー製品を買うもの」という刷り込みがされていた。しかし、大人になって、自分のパソコンを欲しくなって知るのである。

「AT互換機」というものがあり、それは、自由に組み立てることができる、ということを。

「AT互換機はPCパーツが規格化されていて、自分の好みでパーツを組み合わせることができる!」

AT互換機の存在を知ってから、もう、寝ても覚めても頭の中のことはパソコンでいっぱいだ。
まだ、ネット接続は、アナログモデムに28.8kbps、AkibaPCHotlineのサイトも立ち上がったばかりだったろうか?
Google2ちゃんねるもまだ存在していない、それが、1990年代後半。
地方在住者としては、昼間はせっせと雑誌を読み込み、パーツの構成をメモ用紙に書き出して、テレホタイムになったら、せっせとネットにつなぎ、秋葉原のPCショップのサイトを見ながら、値段を調べる、そんな日々を過ごしていた。
少しずつ貯めたバイト代を握りしめて、秋葉原に降り立つ日を夢見て。

秋葉原の電気街に初上陸したのは、1996年だったろうか?
実家への帰省のついでに寄ったと記憶している。
目的は、PCに内蔵するHDDを買うためだった。
今のように、スマホで店舗を現地で調べるなんてできない時代。
プリントアウトした秋葉原MAPを握りしめて、店舗を周った。

そこでふらっと立ち寄ったのが、Flip-Flapだった。

場所は、牛丼のサンボとファミマの間、にある、雑居ビルの階段を登った先のドアを開けた先に、Flip-Flapは存在した。

店舗の広さは12畳くらい。
所狭しと並べられた、PCパーツ。
品揃えはバルク品が多く、当時の有名店である、TWOTOPT-ZONEDOSパラと比べて1〜2割くらい安かった。
その魅力にすっかり魅せられて、盆暮れ帰省の際には、必ず立ち寄る店舗の一つになった。

IDEのHDD(3GB)
・チューリップのLANボード(当時で始めた100BASE)
・MN128SOHO(当時めっちゃ流行った、ISDNルーター)
・NE2000互換のLANボード(当時のPC-UNIXで動作する定番)

などを訪れるたびに一つずつ買ったものである。

そんなこんなで年に2回の訪問を楽しみにしていたのだが…。

1999年の年末のこと。
今年もFlip-Flapに立ち寄ろうか…と思った時にネットで見かけたのが、この記事だった。

https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/hotline/991218/etc.html#flipflap

え!そうなの!なんで!ととても驚いたことを覚えている。
なぜならば、Flip-Flapは俺にとっての良店であり、それが儲かってないはずなどないと思い込んでいたからだ。
今にして思えば、PCパーツショップの氷河期、終わりの始まりだったのだろうな。

そして、年明けに、「通販サイトできたかな?」と思ったら、それどころか、こんな感じだった。

https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/hotline/991218/etc.html#flipflap

えええええ!なんで!と言葉もなかった。

俺の中で、秋葉原が、楽しい現実から思い出に変わっていく、歴史の始まり、それがFlip-Flapの閉店だったんだなぁ。